詩史顰 一卷 市野光彦著
市野光彦、字は俊卿、簣窓と號す、晩に迷庵と號す、六世の祖重光、伊勢白子邑より江戸神田に來りて質庫を開けり、四世の孫某、賢にして學を好めう、其の子光紀、香川氏を娶りて迷庵を生めり、迷庵稍,長じ、祖父の遺書を讀みて發憤し、業を黒澤迂仲に受け、經藝を研鑽せり、林述齋の講説を受け、平澤旭山、市川寛齋等と交る、年三十にして俄に交游を謝し、專らその本業に從事せり、後十餘年、徐に出でゝ舊交を尋ねんとすれど、多く老病せり、是に於て深居して讀書し、復た世と接せず、當時狩谷望之、亦だ市人にして古を好む者なり、二人相交ること兄弟の如しと云ふ、文政九年八月十四日歿す、年六十二。
此書は、迷庵嘗て國史を讀み、南北朝の際に至ち、私に感ずる所あり、因て大塔宮・楠公父子・新田義貞・足利高氏・直義等十五人を列し、毎人七言絶句一首を作り、且つ評語を繋けしなり、其の詩史といふは、黄公遠の讀史吟評の體に傚ひたるものにて、顰といふは謙辭なり、徳川氏の世に在つて、名分未だ立たず、南北正閏の論、未だ甚だ明かならざりし時に當りて、能く此の著を成せり、史を讀むに一隻眼を具ふるものといふべし、但し足利高氏は當に高の字を書てべし、尊の字を書すべからず、是れ大義の關する所なり、今此書皆尊の字を書せり故に贅す、
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