冢田虎、字は叔貔、通稱は多門、大峯と號す、信濃の人、父を旭嶺といふ、室鳩巣の門人なり、大峯初め父に學び、宋學を奉ぜしが、其後ち古今の書を研究し、經義に流派を分つの不可なるを論じ.經に依りて經を解するを可とすと稱し、復古學を唱へ、自ら諸經の解を作れり、天明元年、尾張侯の侍讀となる、文化八年、尾藩明倫堂督學に擢んでられたり、天保三年三月二十一日歿す、年八十八。
此書は詩を學ぶ者は、正道に據らざれば、假令佳趣妙想あるも、遂に邪徑に陷るの弊あり、之を射を學ぶに譬ふるに、質的を正して之を射るに非ざれば、巧手となる能はざるが如し、此書名づけて質的といふ、其命名によりて、その書の内容を推すべし、「餘話」には、和漢の詩を引き、或は批評し、或は解釋せる等、亦皆學者に益せざるはなし.
作詩質的.pdf
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