2006年06月24日

太宰純『斥非』

斥非
一巻
太宰純著
太宰純、字は徳夫、春臺と號す、又た紫芝園と號す、通稱彌右衞門、信野飯田の人、本姓は平手、租、言親、加賀侯の大夫横山氏に仕ふ、父、言辰出でゝ姻族太宰謙翁の嗣となる、因て太宰氏を冒す、謙翁は飯田侯の臣なり、春臺初め程朱の學を修む、徂來を見るに及んで、大に悦び、其の舊學を棄てゝ古學を講ぜり、然れど晩年甚だ徂來に満たざる所あり、詩文に至りては、痛く李王を斥く、「文論」「詩論」を著はして縱横に之を論ぜり、延享四年歿す、年六十八。
此書は我邦の學者の文字の使用を誤り、姓名字號官職等の書式の差へるものを擧げて之を指摘せり、此書版本二種あり、江戸刻本と浪華刻本とこれなり、今此に掲げたるは、江戸本なり、浪華本は原尚賢の序に謂ふ所の盜刻の本なり、浪華本には林義卿の序あり、(今特に原氏の序の次に之を掲ぐ)この本は世に傳はるもの甚だ稀なり、今二本を對比するに、毎章の順序は同じきも、字句の異同甚だ多し、思ふに浪華本はその初稿に據りて上梓せしものにて、江戸本は他日の定本に據りしものならん、浪華本は斥非編と署せり、其の名稱も亦同じからず.
浪華本は延享元年八月に菅生堂河内屋宗兵衞の上梓する所にして、江戸本に先だつこと凡そ一年なり、江戸本には附録として春臺の「孟子論上下」「封建論」「朱子小學論」、「内外教辯」「讀仁齋論語古義」「讀仁齋易經古義」「病餘間語」「對客論文」の九篇を載せたり、詩學と交渉なきを以て、今之を省けり。(延享二年六月新刻、明和四年五月再刻江戸書肆文英閣青竹樓)
斥非.pdf
posted by うわづら文庫主人 at 21:17| Comment(0) | TrackBack(1) | 詩話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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[言語生活史]「世之反切人名者。亦何知韻鏡之所以為韻鏡乎」(太宰春台『斥非』)
Excerpt: 近時韻鏡之書。盛行于世。則有下反切人名之事其法。於人之二名者以上字為切母下字為韻。従韻鏡帰成一字。因視其字美悪、美則已。悪則改其名、以為所帰之美悪。而終身之吉凶禍福係焉
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