一卷
清田絢著
セイダ
清田絢、字は君錦.初の字は元〓、〓叟、又は孔雀樓主人と號す、通稱は文平、即ち福井藩の文學伊藤龍洲の季子にして、江村北海の弟なり、龍洲出でて伊藤氏を繼ぐ、故に〓叟をして本姓に復し、清田氏の祀を奉ぜしむ、清田氏は播磨の著姓なり、〓叟。始め物氏の學を奉ぜしが、後ち自ら其の非を悟り、一に朱子を以て主とせり、父の蔭を以て擢んでられて、越前の儒員となれり、伯兄伊藤錦里と共に優遇を蒙れり、平素喜みて通鑑を讀み、之を批評し通鑑三編批評十卷を著はせり、
又た好んで史記を讀み史記律を著せり、天明五年三月二十三日、京師に歿す、年六十七、或は曰く七十八。
此書は專ら詩を談ずるものに非れども、多く作詩者の知らざる可らざることを述べたり.別に藝苑談の著あり、此二書を夷考するに、談は汎論に屬し譜は各論に屬せり、藝苑談は後卷に掲くべし。
藝苑譜.pdf
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