2005年02月20日

半田良平「百人一首講話」

 百人一首、委しくいへば、小倉百人一首と我々が常に呼んでゐるものは、どういふ徑路をとつて生れたか、まづそれから考へてみよう。
 一般に、百人一首は藤原定家の撰と信ぜられてゐる。その根據となるもので、私の眼に觸れた文獻が二つある。その一つは、一條兼良の『榻鴫曉筆』である。
京極黄門(註、定家のこと)昔今の歌仙一百人を選びて似せ繪にかゝせ、かの人の詠歌一首つつ色紙形に書きて、小倉山莊の障子に押されたる、今の世に百人一首と申し侍る是れなり。

 當否はさておき、まことに簡潔で要を得た記述である。小倉百人一首といふ名稱の起源もこゝに胚胎してゐる。

handaryoheiogura100.pdf


posted by うわづら文庫主人 at 23:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 国文学論文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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