2005年03月03日

吉沢義則「点本書目」(吉澤義則『點本書目』)

 王朝時代の国語研究資料としては、和歌の類があり、物語の類があり、僅ながらも古文書の類がある。和歌や物語の類で現存してゐるのは、いづれも多少の伝写を経たものであり、誤写改竄が考へられるので、研究資料としては十分信頼しぎれない事情もある。古文書類は当時のまゝに伝はつてゐてその点は安心であるけれども、餘りに数も少く、国語資料としては貧弱に過ぎる。
 それやこれやで、他に根本資料を求めようとして、先づ着眼したのが点本類であつた。点本といふのは内外典の漢文に和訓点の施してあるものをいふので、その訓点によつて、加点当時の国語を握らうとしたのであつた。固より点本の中には古訓を伝へた移点本もあるのではあるが、それも識語等によつてほゞ原点時代を知ることが出来るのである。
 けれども点には何れもヲコト点とカナ点と併用せられてゐて、両々相俟つて訓むやうに加へられてある。のみならす、伝授の秘点として加へられてある為に、それを読み下すことが容易でない。カナ点も勿論今日のカナ文字と違つて非常に読みにくいが、ともかくもカナの原字を探つて、その発音を知るといふ便宜もあるけれども、ヲコト点に至つてはさうした便宜もなく、たゞそれ自身を材料として、類聚調査するのでなければ、窺ひ知ることが出来ないのである。
 訓み下さなければ国語の資料とはならす、訓み下すのは一朝一夕の仕事ではない。その下調べに時日を費してしまつて、研究は今に完成されてはゐない。殊に古い点は粉点が多い。それらは何時となく白粉が剥落して、ためつすかしつするのでなければ見分けることが出来ない為に、視力の衰弱した今日に於ては、到底この研究を完成する見込が立たない。しかもこの研究が完成された後でなければ、安心して古代の国語を談ずることは出来ない。
 今点本書目を公にしようとするのは、少壮篤実な後継者を得て、この研究を完成し、古代国語研究の上に強い照明を投げかけてもらひたい為である。
 勿論この書目は狭い管見に入つた範囲に止まつてゐるのであつて、この外に見ようとして見られなかつた諸山諸家の秘庫も少くはない。それらは便宜あつて一覧せられた諸君に補つていたゞきたい。なほこゝには識語があつたり、筆者が分つてゐたりして、加点移点の時代の判然してゐる書物に限つて登載するに止めて、字体点法等からしてほゞその時代を推定するに足るものはあつても、すべて省略に従った。
 書目中には十数年前の採集にかゝる書物が多い。それらの中にはいろ/\の事情で所蔵者の変つてゐるのもあらうかとおもふ。その点は所蔵者并読者諸君の御諒恕を願ひたい。
tenponsyomoku.pdf

【補】
広浜文雄氏の増補した『新版点本書目』(webcatplus)もあるし、その後も報告された訓点資料は多いのですが、『岩波講座日本文学』に収められ、よく知られた書目を載せます。
posted by うわづら文庫主人 at 00:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 資料 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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