押韻の藝術的價値
不定音詩と押韻
日本詩の押韻可能性、積極的理由
日本詩の押韻可能性、消極的理由
文字
單語の聽覺上の性格
文の構造
韻の量
韻の質
韻の形態
押韻の普遍性
附録、作例
註
この一篇は私の巴里滯在中に出來たものである。昭和二年の三月と四月に、私は雜誌「明星」へ寄稿のつもりで與謝野寛氏、同晶子夫人宛てに「押韻に就いて」と題する原稿を巴里から迭った。同年五月「明星」の休刊と共に、その原稿は滿三年間與謝野氏の許に保管されるやうになつた。その間、私は原稿の返却を再三乞うたが聽き容れられなかつた。昭和五年三月、雜誌「冬粕」の創刊と共に、同雜誌第一號に突然、私の原稿の第一節が掲載された。それは私の意志に反してゐたから、第二節以下の掲載を見合はせてもらつた。同時に原稿の一部分だけは校正刷の形で返却してもらふことが出來た。しかし私の自筆の原稿は保管中に全部紛失して了つたとの通知を受けた。今囘、本講座に執筆することになつたので、私の手許に僅かに殘ってゐた書き荒しの草稿を取出して加筆したのがこの一篇である。
與謝野氏宛に迭った原稿には、詩十章を附録作例として添へ、すべて羅馬字で書いて置いた。今度は總計二十六章とし、二章を除くのほかは日本字で書いた。そのうち「辨證法」「偶然性」「負號量」の三つは「明星」昭利二年四月號所載のものを再録した。なほ、「明星」(大正十四年以後)や「冬柏」では私は假名を用ひてゐたことをここにことわつて置く。
昭和四年發行の「晶子詩篇全集」のうちに「小鳥の巣(押韻小曲五十九篇)」といふ美しい押韻五行詩の一群がある。その序に『詩を作り終りて常に感ずるごとに、我國の詩に押韻の體なきために、句の獨立性の確實に對する不安なり。散文の横書にあらずやと云ふ非難は、放縱なる自由詩の何れにも伴ふが如し。この缺點を救ひて押韻の新體を試みる風の起らんこと、我が年久しき願ひなり。……(一九二八年春)』とある。 一九二八年は昭和三年であるから、私が「押韻に就いて」の原稿を與謝野氏へ送つてから丁度一ケ年を經てゐる。私の主張が幾分、晶子夫人に反響したものと考へて差支ないならば、私は極めて幸に感じる。尤も私は與謝野氏夫妻とは未だ直接面識の機會をもたない者であるから、それらの點を明かにすることは出來ない。いつれにしても、私は、晶子夫人の「小烏の巣」とその序言とを讀んで、詩にとつて門外漢お私がこの小篇を公けにすることも必ずしも無意味では」、なからうといふ感じを深くした。
なほ舊稿の加筆に際して新村出博士と澤瀉久孝氏との寄せられた厚意に對して、ここに感謝の意を表しておきたい。
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