足利期から徳川の初期へかけて續出した通俗訓蒙的で單簡素朴な小説を御伽草子といつたのは何時頃からの事であらう。
トギといふ語は平安朝の文獻には發見されないやうである。源平盛衰記・増鏡等に至つて話相手の意味に用ひられた、さうして之に伽の字をあてるやうになつたのは、字書類では貞應板の法華經音義が最も早いものかと思はれる。これより前すでに類聚名義抄にも伽の字は見えるが、それにはヨル・ユタカニとのみあつてトギの訓はない。元來伽の字は伽羅・伽藍などの如く梵語の音譯にのみ用ひられた意味のない字である。それを日本で人加の字態によつてトギと訓じたのであるから、類聚名義抄のヨルも寄ルの意で、人のそばに寄り添ひ伽する心を現はしたのかも知れない。これから推してゆくとトギの語はツキの變化でなからうか、大名の近侍の御伽衆などは御付衆といつても差支ないやうだ。
トギの語が次第に汎く行はるゝにつけて、その意義も擴張して話相手のみならす、すべて人を慰め樂ましむる對象物をさすやうになつて、江戸期の小論類の題名に之を冠するものが多い。年表類によつて見ると次の如き流行がある。
御伽物語 萬治二年
伽婢子 寛文六年
續伽婢子 (不明)
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