2005年05月22日

大槻如電『新撰洋学年表』

日本洋學年表は明治十年丁丑十一月の刊行也 其前年丙子九月王父磐水五十年祭を修む 此年表は其時に作りて追遠の料にせしなり 故に倉卒の際とて遣漏も多く誤謬亦少からず 爾來増補訂正に思立ちし事數回ありしかど何時も障る事ありて其志を遂くる能はず 竟に其儘棄て置く姿となりにき 然共材料に充つべき書籍に遇へば價を問はず購入れ見聞に觸れし事共は記臆し筆記し怠る事なし 一日中村文學士來り談此事に及ぶ 學士の妻は弟文彦の女なり 學士曰く洋學年表の増訂は如何 伯父も高齡なり 今の中に成稿せられたしと曰く誰か爲る人あらん代てやるべし 決して彼れ是れ云はぬ曰くやりたい者はあれど材料に乏し 故に誰れも手を着け得ずと さあらは藏書一切貸與すべし 自由に檢閲すべし 其書は何程ありや凡そ七八百種もありなんと問答ふ 學士首を傾け一閲するさへ一二年はか丶るらん 今日の人にはむつかしかるべしなどと談し合ひぬ 爾時憶念す我にして斯事を成さすんは斯事竟に世に埋れなん いでいで筆とるべしと第一稿を起したるは大正五年八月十七日此日余か誕辰にて滿七十一歳 而し其脱稿せしは八年八月なれば三裘葛に渉れり 其間心氣一轉して御肇國史と題する一書を草したちき かくて又本に反りて第二稿に取懸りしは九年十月なり
凡そ年表といふ者は某事某年に掲け某年某事を掛く極て單調なる者とて徒に所用者の見出に過ぎず されば本表は少しく其態を易へ人物には事略より歿年年齡を記し墓處に及ひ書物には解題を略記し雜事には旁證となるべき記事を添へ讀みても興味ある者にせんと筆したり 一種の史略としても見るべく又史談隨筆などとしても見るべし 是故に又一年餘を費し十年十二月一先つ稿を完す
さて出版は普通活字版に付するなれど活版は少くも三校を看ざる可らす 老眼其勞に堪へず 大字に自書し寫眞鏡に縮寫して上板すべし 此迄世人の餘りせざる事と思付き七條金屬版に謀りしに是非御引受いたしたしとあり 其事に定む されど又とみには筆とらず又一年を送りて十二年一月より淨書にか丶り七月に至り本編一百三十餘頁を自書し了る 少しく休養すべし 京都に名高き大文字の火は此迄折あしく見たる事なければ一見せばやと仲兒正二を携へて西京に赴きたり 詩あり

大文字大文字。如意嶽頭火色熾。此火四百五十年。年々歳々期不貳。盂蘭盆會送聖靈。磔躍衡書光其位。西遊幾十回。毎次失其次。今夕拜彼光。眞箇快心事。我握椽大筆。終生託文辭。身本無覊絆。馳驅只如意。大文字大文字。如意嶽頭大文字。

と吐きし大氣焔は大火焔となり第宅書器一切烏有是乃九月一日の震災にて火の起るを見るや他物は打棄て洋學年表と御肇國史との稿本を抱出からうじて弟か根岸の宅に逃れ入りたり かくて家族一室に群居したれば筆硯に對するに由なく又七條工場も同しく火災に罹れり 於是空過二年今茲丙寅雙方從事する時期至り本表も世に布く事となりたり 今齡八十二歳生命あるこそ不思議なれ
本表前後十年に渉るも一人の助手なく寫字校合總て老人の自力なり 今世出版界は分業法となり著書者と發行者と各別なり 余は發行者に左右せられ理想通りの書を作る能はざるを欲せす 製版費は自家より出金し書價は可成低廉として遍く世の需用に供せんと冀ふ 自費の事にしあれば損益は問ふ所にあらず 今人より見ば一個の老愚物ならん 孔子曰。其智可及。其愚不可及。索引は第二稿成るの後に人名書名及事物名等を抄録し頁數を付し小册子となし置きしが震災に持出し得ず燒亡してんげり 本年に至り更に抄録に筆とりしも老躯其煩細に堪へず さりとて作らしむべき人も無し 索引は骨の折れる業にて面白くなく 而して油斷のならざるもの二ヶ月許にして整理し活版に付したれと差違脱漏もあらんずらん 請ふ恕せよ
回顧すれば舊本世行より五十年を經たり 本年磐水府君百年祭遲延却と奇遇と迎ふ安名賢    大槻修如電謹識
序・索引
yogakunenpyo01.pdf
yogakunenpyo02.pdf
yogakunenpyo03.pdf


posted by うわづら文庫主人 at 20:22| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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