2005年04月16日

2005年04月07日

岡田希雄「源順傳及年譜」

okada_sitagahu.pdf

  此の小篇は
   源順傳攷
   源爲憲傳攷
   源順及同爲憲年譜
  の三部から成り立つ「源順傳及同爲憲傳附年譜」の中の一と三とである。
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2005年03月17日

佐藤鶴吉「近松の国語学的研究」(岩波講座日本文学)

目次
例言
一 序説
二 假名遣
三 音韻現象
(一) 音韻の添加ー-促音ー撥音…母音
(二) 音韻の省略 頭音・中音…-尾音
(三) 音韻の轉換 母音-ー子音
(四〉音位轉換
(五) 同化と連濁
四 語詞の構成
  (一) 概觀 構成の自由…類推混合
  (二) 接辭 接頭辭…接尾辭
  (三) 形容詞を造る接尾辭
  (四) 動詞の構成 擬聲・擬態語から−名詞から−漢語から
五 文法
  (一) 品詞について
  (二) 文章法について



序説

 近松は今日までいろ/\に研究評論されてゐるが、その詞章は之を國語學的見地から眺めても、實に多種多樣な材料を提供してゐる。たとひその作品中には藝術的見地からは價値低く計量されるものがあらうとも、その詞章を國語研究の對象として扱ふ時は、必すしもその價値を滅じないのである。南水漫遊の著者濱松歌國が、近松の淨瑠璃本を百册讀まば學ばずして三教の道を悟り、上一人より下萬民に至るまで人情に通じ、乾坤の間に森羅萬象あらゆる事辨ぜざるといふ事なしと言つたのは、固よりその内容の豐富なことを意昧してゐるが、又その内容を盛つてよく自在を得た彼の詞章が、如何に包容性に富んでゐるかをも物語つてゐる。彼が一代の作品は淨瑠璃及び歌舞伎狂言本を通じて甚だ多數に上り、容易に研究し盡さるべくもないが、今、管見に及んだだけの範圍に於ても、私は次の如く言ふを憚らない。譬へば、近松の詞章は、元祿時代語を主流とする我が國語史上の一大河流である。當代以前の各時代の國語は、その支流としてこの大河に合流してゐる。或はこの大河の柵に支へられてゐる。又、近松の詞章は、上方言葉を中心として、當代あらゆる社會層の用言の淵叢となつてゐる。各種の階級語・職業語、各地の方言がこゝに包含されてゐる。
 此の如き事實は、又一面から見ると、所謂近松の詞章は決して近松のみの詞章でないことを語つてゐる。彼の天才が幾多の傑作を産出したことは勿論であるが、その語彙文法は、決して彼自身のみの創造でない。殊に國語史的見地に立つて見るとき、無中に有を生するやうなことは容易に出來ないことを知る。例へば珍しい一語彙を捕へても、それが近松の新造語であるとはなか/\斷じがたい。又、或變則な表記法・文法に接しても、俄に之を近松獨自のものとは定めがたい。これらの具體例は、本論に入つてから説く考であるが、近くは古淨瑠璃・幸若・狂言・謠曲の詞章の中に、更に溯つては中古・上古の國語の中にも、或は佛典・漢籍の訓讀の中にも、その源流を見るのである。又、各種の破格變則の例の中には、殊更に當時の俗談平語から採用したものがあらう。そして、これらの中に、近松自身の造語・新表現法が若干の分量に於て混じてゐると見るのが妥當であると思ふ。故に、こゝに「近松の詞章」と題する意味には、決して絶對性を附することは出來ない。つまり私の仕事は、近松の詞章に現はれて來る言語現象の討査といふことになる。更に換言すれば、近松によつて代表せられてゐる元祿語の研究が目的である。この意味に於て,これが資料たる本文も、時代さへ大差なければ、近松作としての確實性を缺いてゐると稱せられるものからも引用する方針に從つたことを斷つておく。
 さて、私の最も興味深く覺える言語現象は、第一に語構成に關するものである。そこには所謂類推構造・混合的構造等の諸例がある。その結果は、單語論上には勿論、連語・文章論上にも、我が國語の特徴を極度に發揮させたやうなものもあると思はれる。次には、音韻論乃至形態論的に考察して、大膽な短縮が行はれてゐるかと思へば、促音・・撥音の増加が屡,行はれてゐる。或は修辭上一種の諧調的誇張法が試みられてゐるかと見れば、文法上の約束を無視した極端な簡潔法が施されてゐる。要するに、近松の表現には、寧ろ西鶴よりも自由な奔放なものがあつて、作者自身が、言語の變化に對する「普通の拘束」を感することが甚だ乏しかつたかに見える。
 然し這般の言語現象は、更に之を一歩進んで考察すると、中世から醸され來つた一般社會の新興自由の精神がいよいよ當時に至つて發揮せられ、それに根ざす文藝の普遍化・大衆化といふことが、近松の天才によつて所謂近世的に十分に遂げられた一證左であるとも斷ぜられる。けれども、それよりも更に直接な特別な事實が、この自由な破格的な言語現象を支配して居たことを忘れてはならぬ。それは近松の作品中大部分が人形芝居の爲の淨瑠璃であり、殊にそれが語り物であるといふことである。即ち一方には、音曲的效果をあげる爲の用意が必要であり、他方には、その詞章に件ふ人形の言語動作に生命あらしめる用意が、人形使ひの技巧と密接不離の關係に於て必要條件になつてゐる。是等の條件は、單なる讀み物と異なつて、淨瑠璃の詞章そのものの構成に多大の影響を及ぼさずにはゐない。難波土産が紹介してゐる「文句みな働きを肝要とする活物なり」といふ近松自身の言葉は、この意味に於て見のがすことは出來ない。同じ近松の作でも、狂言本と淨瑠璃本とに於て著しい差が感ぜられるのは、作者の用意が最初から異なつてゐるのに因る。淨瑠璃の詞章は、狂言本のそれが到底與へ得ない一種の彈力を讀者に與へる。この事は國語學的見地からの考察に於ても大いに顧慮されねばならぬ點である。かくて又近松の詞章中には、日常普通の實用的言語とは若干の距離あるものが存在することをも承知してかゝらねばならない。
 以上述べ來った如く、近松の詞章はいろ/\顧慮すべき條件を伴つたものではあるが、やはりその言語現象が我が國語史上に參加すべき多くの實質を具へてゐることは爭はれない。シェクスピヤ文法の著者アボットは、「英語の學ばれる所にはシェクスピヤは忘らるべきでない」と言つてゐるが、我が國語、殊に近世國語史を討究するには、決して近松を忘れてはなるまいと思ふ。
 先づ序論として言及すべきことは大體これで盡してゐるが、以上言及したことを仔細に立證説明して行くことは、限られた紙面では到底叶ひさうもない。たゞ假名遣・音韻論・語構成・文法論に亙つて、僅に概要を敍するに止るであらう。

satoturukiti_tikamatu.pdf
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2005年03月15日

九鬼周造「日本詩の押韻」(岩波講座日本文学)

  目次
押韻の藝術的價値
不定音詩と押韻
日本詩の押韻可能性、積極的理由
日本詩の押韻可能性、消極的理由
文字
單語の聽覺上の性格
文の構造
韻の量
韻の質
韻の形態
押韻の普遍性
 附録、作例
 註


 この一篇は私の巴里滯在中に出來たものである。昭和二年の三月と四月に、私は雜誌「明星」へ寄稿のつもりで與謝野寛氏、同晶子夫人宛てに「押韻に就いて」と題する原稿を巴里から迭った。同年五月「明星」の休刊と共に、その原稿は滿三年間與謝野氏の許に保管されるやうになつた。その間、私は原稿の返却を再三乞うたが聽き容れられなかつた。昭和五年三月、雜誌「冬粕」の創刊と共に、同雜誌第一號に突然、私の原稿の第一節が掲載された。それは私の意志に反してゐたから、第二節以下の掲載を見合はせてもらつた。同時に原稿の一部分だけは校正刷の形で返却してもらふことが出來た。しかし私の自筆の原稿は保管中に全部紛失して了つたとの通知を受けた。今囘、本講座に執筆することになつたので、私の手許に僅かに殘ってゐた書き荒しの草稿を取出して加筆したのがこの一篇である。
 與謝野氏宛に迭った原稿には、詩十章を附録作例として添へ、すべて羅馬字で書いて置いた。今度は總計二十六章とし、二章を除くのほかは日本字で書いた。そのうち「辨證法」「偶然性」「負號量」の三つは「明星」昭利二年四月號所載のものを再録した。なほ、「明星」(大正十四年以後)や「冬柏」では私は假名を用ひてゐたことをここにことわつて置く。
 昭和四年發行の「晶子詩篇全集」のうちに「小鳥の巣(押韻小曲五十九篇)」といふ美しい押韻五行詩の一群がある。その序に『詩を作り終りて常に感ずるごとに、我國の詩に押韻の體なきために、句の獨立性の確實に對する不安なり。散文の横書にあらずやと云ふ非難は、放縱なる自由詩の何れにも伴ふが如し。この缺點を救ひて押韻の新體を試みる風の起らんこと、我が年久しき願ひなり。……(一九二八年春)』とある。 一九二八年は昭和三年であるから、私が「押韻に就いて」の原稿を與謝野氏へ送つてから丁度一ケ年を經てゐる。私の主張が幾分、晶子夫人に反響したものと考へて差支ないならば、私は極めて幸に感じる。尤も私は與謝野氏夫妻とは未だ直接面識の機會をもたない者であるから、それらの點を明かにすることは出來ない。いつれにしても、私は、晶子夫人の「小烏の巣」とその序言とを讀んで、詩にとつて門外漢お私がこの小篇を公けにすることも必ずしも無意味では」、なからうといふ感じを深くした。
 なほ舊稿の加筆に際して新村出博士と澤瀉久孝氏との寄せられた厚意に對して、ここに感謝の意を表しておきたい。

kuki_nihonsioin.pdf
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橘純一「竹取物語の再檢討」(岩波講座日本文学)

  目次
國語學的檢討
  一 本物語の句の長さについて
  二 本物語中の「なむ」「ぞ」「こそ」の三張辭について
  三 本物語の和歌の段落法について
第二 素材を觀點としての本質檢討
  一 本物語と羽衣説話
  二 本物語と長者傳説
結語

平安朝の散文學の文章は、源氏に至るまでに大略三遷してゐると考へてよからう。即ち第一期は、ロ誦文藝的檬式を全く脱却するに至らなかつた素朴時代で、解説的敍述と寫實的描寫とがまだ十分に分科して居らぬ。竹取物語の文章は大體此の段階に屬するものとしてよからう。第二期は、敍述と描寫とが分科し、敍述の部分は、解説的態度から一歩進んで、更に事件全體を包む情調を表現する傾向を持ち來り、描寫部は忠實な平面描寫となつて來る。伊勢物語は、歌物語としての性質上、描寫と稱すべきものは見られないが、敍述に情調意識が加はつて居る點、第一期から第二期への過渡的作品らしき俤がある。落窪・空穗は正に此の第二期に屬する作品であらう。第三期は源氏によつて代表せられる心理描冩、情調表現に重點を置いた優婉精緻なる表現様式の高潮に逹した時代である.、私は以上の文章發達段階の想定の上に立つて、竹取に、現存物語中の最古の位置を與へんとするものである。



此の章で述べた所をまとめていふと、「なむ」「ぞ」「こそ」三強辭の使用といふ點に着眼して、竹取伊勢兩者を比較すると、たしかな事はいへないが、竹取の方が、三強辭の使用總數に於いて少い事、又「こそ」が詞の内にのみ用ゐられてゐるといふ點に於て、伊勢よりは文章として古色あるものとすべきであらう、といふに歸する。


tatibana_taketori.pdf
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2005年03月13日

伊波普猷「琉球文学」(岩波講座日本文学)

 二百六十年前、琉球の宰相であつた羽地王子向象賢は、その『仕置』の中に、「竊惟者、此國人生初者、日本より爲渡儀疑無御座候。然者末世之今に、天地山川五形五倫鳥獸草木之名に至る迄通逹せり。雖然言葉の餘相違者、遠國之上久敷通融爲絶故也。五穀も人同時日本より爲渡物なれば、云々」と記したが、彼は實に日琉同祖論を唱へた最初の人である。かなり後れて、新井白石は其の書簡集中に、「扱倭歌は日本の本色のものに候。琉球人は南倭とて、此國と同じ地脉の國に候。故に名歌をもよみ出し候もの有之候」と書いたが、彼は恐らく日本人にして日琉同租説を暗示した最初の人であらう。
 一八九三年の春、バシル・ホール・チャムバレン氏は琉球に赴き、親しく其の言語を研究した結果、翌年六月始めて大日本亜細亞協會で其の所論を講演し、尋いで(琉球語の文法及び語彙)と題した名著(二)を世に公にしたが、この書は日本語と琉球語との關係を學術的に比較研究した唯一のもので、將來補足されなければならないものが多いとはいへ、なほ貴重なる文獻たるを失はない。氏は其の中に、兩國語の關係を、

   …古代日本語…近代日本語
母語
   …古代琉球語…近代琉球語


の如く圖説し、ローマンス諸語が拉丁語といふ母語から出た如く、日琉兩語は今では全く不明になつてゐる同一母語から分岐したものであるとしたので、從來獨り娘の如く思はれてゐた日本語は、久しく失はれてゐた姉妹語を與へられて、比較研究上にかなりの好果が收められるやうになつた。なほ氏は、かつて共同の根元地に住してゐた彼等の祖先が、紀元前三世紀の頃大移住を企て、對島を經過して九州に上陸し、其大部隊が道を東北に取つて、大和地方に定住した頃、南方に逍ひつゝあつた小部分の者は、恐らく或大事件の爲に逃れて海に浮び、途に南島に移住するに至つたのであらうと推測してゐる。然るに數年前南島を跋渉して民俗學的研究を試みられた柳田國男先生は、其劃時代的名著『海南小記』中の「阿遲麻佐の島」の章で、南島人は日本民族の核心になつた部分の移動の道筋に遺つた落ちこぼれであらうといふ説を述べられた。其後移川子之藏氏も、白鳥説話の比較研究から、日本民族の租先が亞細亜の高原から印度に下り、それから南洋に出て、飛石のやうに列つてゐる南島を經由して來たことをほのめかして、柳田先生の説を裏書されたと聞いてゐる。要するに、右の二説は南進北進の差こそあれ、南島人が日本の建國前に分岐したといふ點は一致してゐるやうに思はれる。なほこれについては考古學者や人類學者の研究を參照する必要もある。
 數年前、琉球の貝塚を發掘された松村瞭博士及び大山粕公等の報告書を讀むと、日本内地及び琉球の兩石器時代遺物の系統が一致することは明であるが、人種的所屬の問題には觸れてゐない。最近發表された京都帝國大學の金關丈夫博士の「琉球人の人類學的研究」第二部生體の研究、第一報告琉球人手足皮膚の理紋に就いて(四)の結論には、「琉球人は手掌部、足蹠部理紋に於て一般モンゴーレンに比して退行的であり、此の點に於て手掌部理紋は比較的白人系人種に近く、足蹠部理紋は之に遠い、指紋及び趾紋に關しては、より原始的であつて、足蹠の關係のみを以つて論すれば、恰も生蕃人に近いものがある。殊に宮古八重山人に於て然りとする」とあつて、その人種的所屬はやはり決定されてゐない。將來この底の研究が進んだら、或種の學者が夢想する如く、人種混淆の賦合まで割出して、その人種移動の道筋などは闡明することが出來るとしても、彼等の生活を説明することは不可能であらう。そして此問題については、やはり永い世代の間生活表現の具として使用された傳承的言語の研究に耳を傾けなければなるまい。
なぜなら、兩民族の聞に言語の類似があるといふことは、かつて隣合つて生活し從つて血液の混じたことを豫想させるからである。白鳥庫吉博士も「日本民族の由來」()の中に「今日の如く交通が至便で、人の移動が極めて容易に行はれる時には無論言語にも相當な轉移があるけれ共、上代に於ける如く交通の便に乏しく、移動に多くの困難を作つた時代の研究に方つては、言語の研究はその民族の生活を明かにし、その人種の所屬を決定する上に、人類學・考古學に勝るとも劣らぬ有力なる手段である」と述べられてゐる。なほ又博士は「日本民族の移動し來つた道筋は臺灣方面よりであるか、朝鮮方面よりであるか、二つの道が假定されるのであるが、諸種の事情よりして大體半島より壹岐・對島を經て入り來つた亞細亜の南部系統のものであつたといふことだけは、ほゞ推定しても大過はないかと思ふ」といはれ、更に「その來住の古いことは、日本語が朝鮮語・支那語・マレイ語などとはいふに及ばす、トングース語とも蒙古語とも何の類似も認められないといふことが、最雄辯に證據立てるので、その民族の分岐した時期が非常に古く、大陸の民族と別れてより全くその類似を失つてしまふ程大古のことであることを物語るものである」と斷ぜられた。
 この説によると、チャムバレン氏や柳田先生がいはれた、南島語が原始日本語から分立した時代は、非常に遼遠の昔に溯らなければならなくなる。さうだとすれば、かくも隔たった|日本《やまと》と南島とで別々に發逹した兩語の差は、イスパニヤ語とイタリヤ語とのそれどころでなく、否、ラテン語とゴシック語とのそれよりもつと甚だしくならなければならない筈だのに、實際のところ琉球語は所謂租語から直接分岐したとするには餘りに國語に接近し過ぎてゐるので、之れに姉妹語といふ名を與へるのを躊躇する人もある位である。山田孝雄博士は、その『奈良朝文法史』中に、吾は「わ」「われ」といつたのは萬葉期以後のことで、この期以前には「あ」「あれ」で、琉球語の第一稱も亦「わ」であるのを見ると、「あ」の古形は日本・琉球兩國語の租語にあつた筈だから、琉球語は完全に「わ」の勢力の成立した時期に分立したのではないか、といつて、分立の時期をすつと引下げられたが、「あ」は現に沖繩島の北部の方言にもあり、琉球の萬葉ともいふべきオモロやアヤゴと稱する宮古島の民謠にも見出されるから、分立の時期はもつと溯らなければならない。推古朝に南島人が來朝した時、譯語を置いたところから考へても、その頃は分立してから可なりの年數を經過してゐたことがわかる。なほまたそれは音韻變遷の方面からもかいま見ることが出來よう。PからFへそしてFからHへと、國語がこの二千年間に進んだものが、現在南島に縮寫されてゐるのを見ても頷かれよう。

iha_ryuukyuu.pdf
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2005年03月12日

山崎美成『文教温故』

文教温故 随筆二卷二冊
【著者】山崎美成
【刊行】文政十一年
【解説】徳川幕府以前に於ける學問教育の起原及び沿革を「六國史」「古事記」「學令」「政事要略」「公式令」「江家次第」「拾芥抄」「異制庭訓往來」「空華日工集」、その他の諸書并に記録類に據つて考説したもので、我が古代教育史の參考になる。
その目次を擧げると、(上卷)第一文學の篇に、學規・大小經・四道儒・律令格式・武備・爛脱・折桂・燈油料・程朱學・新舊二義の目を收め、第二學校の篇に、釋奠・文宣王の目を收め、第三經籍の篇に、始傳經典・五經・十三經・老莊爲經・四書・孝經・讀書始用孝經或千字文・孟子非經・佚書存吾邦・書册の目を收め、第四訓點の篇に、點圖・遠古止點・法家點圖・御書始調進點圖角筆・訓點・朱墨兩點・返點・須弖假名・濁點・朱引の目を收め、第五讀法の篇に、經傳古訓・名目・漢音呉音・對馬音の目を收め、(下卷)第六文字の篇に、上古無文字・新字・和字・省字・偏旁之稱・假名・片假名・伊呂波・伊呂波終書京字・以難波津淺香山二歌爲書學始・假名書之用意・蘆手歌繪の目を收め、第七文章の篇に、平出闕字・闕畫・年號・和文・假名遣・書翰の目を收め、第八詩賦の篇に、詩賦起原・詩話・詩會・聯句・掩韻の目を收め、第九和歌の篇に、和歌・抄物・制詞・連歌・和漢聯句の目を收め、第十印板の篇に、古刻多佛經・儒書・始刻醫書・活字版等の目が收められてある。             〔和田〕

文教温故批考 隨筆二卷
【著者】狩谷望之・屋代弘賢
【諸本】國書刊行會の「百家随筆」第三所收。
【解説】山崎美成の著「文教温故」(別項)中の誤妄を難じたものであるが、卷一は狩谷掖齋の撰、卷二は屋代輪池の作で、ともに五六則から成る小册である。「文教温故」を手にする人は必ず參照すべきものである。          〔和田〕

bunkyoonko.pdf
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安藤正次『国語音声学』(岩波講座日本文学)

例言
一、國語音聲學のすべてにわたる事項を限られた紙數のうちに要約することは、もとより不可能なことであり、さりとて、特殊項目の一二について詳説を試みるといふことも、専門家に限らぬ読者にとつては、蝋を噛むが如き感があらう。そこで、わたくしは、執筆に當つて、一般的の題目のうちから、基本的のものを選び、これを専門的に取扱ふ方針を立てたのである。
二、前項のやうな事情の下に筆をとつたのであるから、發音器官の構造とか、音聲の分類とかいふやうな、初歩的、啓蒙的の記述は、全然これを省略することにした。しかし、また、母音構成の理論といふやうな、あまりに専門的な基本問題にわたることも、なるべく触れないでおくことにした。要は中庸を得るにあると考へたからである。
三、結局、本篇は、國語音聲學とはいふものの、単音論だけの説述に止まつて、連音論に及ぶを得なかつたのは遺憾であるが、これはやむを得ぬ次第である。読者の諒承を希ふ。
  昭和六年十二月                                  臺北にて
                           稿者

第一章 一般音聲學と國語音聲學
音聲學は、普通に、言語に用ゐられる音音すなはち語音を研究の對象とする科學であるといはれてゐる。しかし、語音を研究の對象とするといつても、その對象の範囲は、場合によつて、いろ/\にちがつて来る。極端な場合についていへば、ある特定の個人の語音が研究の對象となることもあり、廣く人類全般の語音が研究の對象となることもあり得る。音通の場合について見ても、一方言の語音、一國語の語音、数國語の語音が、それ%\研究の對象となり得ることは、いふまでもない。仮に音聲學を一般音聲學と特殊音聲學とに分てば、世界の人類を通じて見出される、すべての音語の語音に關する諸種の現象を研究するのは、一般音聲學とよばれるべきものであり、一方言、一國語、数國語の語音に關する諸種の現象を研究するのは、特殊音聲學と名づけられるべきものであらう。この意味における一般音聲學は、一般的に、世界の音語に用ゐられる「こゑ」や「おん」や、これに伴ふ音色・高さ・強さ・長さなどを研究の對象とするのであり、特殊音聲學といふのは、ある特定の國語または方言に用ゐられる「こゑ」や「おん」や、これに伴ふ音色・高さ・強さ・長さなどを研究の對象とするのである。

ando_onseigaku.pdf
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2005年03月08日

井口丑二『日本語原』

井口丑二

序・目次

      はしがき
 うれしさを何に包まむからころも
    袂ゆたかにたてといはましを
 これこの古歌は、過ぎし大正の初めつかた、語原研究に沈潜して、三日三夜斷食の末、益軒白石等の大家が、索めてしかも求め得ざりし、いはゆる『言葉の鍵』なる祕寳を、忽然發見し得たりしとき、思はす迸り出でたる聲であつた。然るに今や平凡社の樓上に於て、社長下中氏が本書の原稿を一瞥して、言下に出版を快諾せられたとき、再び予の喉頭から押し出し來ッたのが、 この喜びの聲であつた。大人氣なしとも笑ひたまはゞ、姑く笑ひ玉ふに任せむ。包むに包まれぬ眞情である。
 さても予が、或る動機に因りて、語原の探索に指を染めたのは、明治の四十一二年であつたが、其の後天幸を得て意外に捗り、大正六年には本書を起稿し、その八年には之を完成し、翌九年には本書の法則に依りて古語を解釋し『太古史闡明』を著し得るに至つた。而して後に生れた太古史は、中央報徳會の好意に依りて、大正十一年に出版されたが、先に成りたるこの書は、一再印行を企てしも、天災乃至は人事の變故に遭遇して毎に齟齬し、心ならずも筐底に藏すること年あり。偶々新に得たる信友渡邊緑村君、我が山莊に訪れ來てこの事を聽き、これを以て之を下中氏に紹介し、仍て予は原稿を携へて氏に會し、之を提示するに至つたのであつた。その時氏は手に取りて、數個所繰りひらき、如電の眼閃を與へられたが、唯それだけで些の躊躇なく、即坐に出版を引き受けられた、その決斷には驚かされたが、あとにて聞けば、氏は元來博言學について格別の經歴、素養があるのだといふことである。道理こそ、一瞬の眼光紙背に徹して、即座に取捨を判せられたものであらう。と思ひては思はざる、知己を得たるを感謝すると同時に、其の専門の智識に對して、慚愧の冷汗を流した次第である。兎まれ斯樣の因縁を以て、枯木が春に逢うたのであるから、若し僥倖にして、この書が時代の文運に寸益をも及ぼすことを得ば、そは全く下中氏の篤志と渡邊君の友情との賚である。
 さて順序として、聊か内容を披露せんに、この書別つて五篇となす。第一篇は一般の言語、即ち人類の言語の總説であつて、斯學進歩の状況より説き起して、世界言語の分類に至る。第二篇『日本の言語』は言語學上に於ける日本語の位置より、日本語一切の事項の説明に至る。以上二篇が總論であつて、斯學研究に入るの準備、即ち其の門路である。第三篇『語原の研究』第四篇『語原の説明』この二篇が本書の中核骨子であつて、本書の價値も立案の當否も、全く是に依つて判定せられるのである。第五篇『語原解釋の實例』は、即ち本書所説の法則の適用であつて、二千有餘の普通語解釋より、國名、數詞、方位その他、各種の解説を網羅してゐる。
 固と專門に屬すると雖も、自分素人の立場を據守して、何人にも讀み易く、解し易い樣にと努めたのであるが、その書名も『日本語原……』と書いたまゝ、その下を『學』とするか『論』とするか、乃至は『……の研究』とするか、未定のなりでさし置きたるに、植字の方では正直にその通りに組んで了つたので、今更組み直すほどのことでもないと、そのまゝ印刷させたのである。隨つて文句に落ち着きがない様であるが、しかし兎にかくに日本語の語原を取扱ふ書物であるといふことだけは判るであらう。
 校正を終るに臨みて、更に再び顧みるに、先輩大家が、未だ曾て試みざりし、這個至難の荊棘に向つて、先づ一鍬を打ち込みたる勇氣の程、自分ながらも感服の至り、否驚き入つたる次第で、全く知らねばこそである。暴馮の戒め、盲蛇の誹り、無論謹んで之を甘受し、尚厚顏にも先輩識者の格別なる御懇教を仰ぐといふ。
  大正十五年夏
                          著者謹識

  目次
第一篇 一般の言語
 第一章 言語學の進歩
 第二章 言語の定義
 第三章 言語の起原
  一 語根の本源   二 名詞か動詞か   三 一元か多元か
 第四章 言語の分類
  一 系統的分類   二 形態的分類

第二篇 日本の言語
 第一章 言語學上に於ける日本語の位置
 第二章 日本語の發生
 第三章 日本語の發達變化
  第一期   第二期   第三期   第四期   第五期   第六期
 第四章 日本語の純系保存
  第一 和歌を鼓吹する事
  第二 漢字を廢止する事
  第三 學校教科書に成るべく多く純系語を使ふ事
  第四 純系語の自己發展を助長する事
 第五章 日本語の分類
 (一)純系語  (二)漢語  (三)外來語  (四)雜種語

第三篇 語原の研究
 第一章 語原の研究とは何ぞや
 第二章 語原研究の歴史
 第三章 語原の分類
 第四章 語の構成
  單音語 複音語 單成語 複成語 第一次語 第二次以下語
 第五章 語の發達
  分化 轉化 通音 延約略 音便 語の文典上に於ける資格の轉換
 第六章 語の分類表の一例

第四篇 語原の説明
 第一章 五十音圖
 第二章 音義の大要
  五十音音義抄略
 第三章 縱横音韻各行の特色
 第四章 活語助語
  一 活語の部   二 助語の部
 第五章 語原解釋の方法

第五篇 語原解釋の實例
 第一章 普通語の語原解釋
 第二章 國名數詞方位並に歳時名
  一 日本の國號  二 諸國の名稱  三 數詞  四 方位の稱呼
 五 年月日
 第三章 語原より見たる衣食住
  一 衣服 二 飮食 三 住居
 第四章 語原雜話
  一 花とフラワー 二 鷹と乙鳥 三 餅と歌賃 四 オヂヤと落雁
  五 探題と問答 六 把笏と神變 七 如在存在腕白等 八 樽と酒
 九 本所と大阪   一〇 無言の談判

以上

       用語例
 本書中の學術的用語は大體に於て、一般言語學上の慣例に依ること勿論であるけれ
ども、多少特殊の遣ひ方をしたのもあるから、念の爲、左に若干を掲げて置く、
言語學 フイロロジー           (Philology)
比較言語學 コムパレチヴ・フイロロジー (Compertire philology)
語原學 エテイモロジー (Etimology)
發音學 フオネテイツク (Phonetics)
言語、國語 ランゲーシ          (Language)
我が國語、國語、邦語           日本語
方言 ダイアレクト            (Dialect)
系統的分類 ゼネリツク・クラシフイケーシヨン   (Generic classification)
形態的分類 モルフオロジカル…… (Morphological
單綴語 モノシラビツクランゲージス (Monosyllabic Languges)
膠着語 アツグルユーチネチヴ…… (Agglutinative )
曲轉語 インフレクシヨナル…… (Inflectional )
語 ウオード (Word)
語の構成 コンスチチユーシヨン・オブ・ウオード (Constitution of words)
語原 エテイモン (Etimon)
語根 ルート (Roots)
分化、派生  デリウエーシヨン (Derivation)
死國語 デツドランゲージ (Dedd langage )
死語  デツドウオード (Dod words)


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岡倉由三郎「ことばのせきしょ」

岡倉由三郎「ことばのせきしょ」
(『外来語研究』1-1)
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2005年03月04日

吉澤義則「國風暗黒時代に於ける女子をめぐる國語上の諸問題」

 萬葉時代が去つて古今時代の出現を見るまでの間に、吾人は國風暗黒時代を有つてゐる。國風暗黒時代とは詩文の隆盛が和歌を社會の裏面に追ひこめてしまつた時代を指していふのであつて、その最高潮に達したのは淳和天皇の御代であつた。
 推古天皇の御代遣唐使の事が始まつてからは、支那文化の輸入は目ざましいものであつた。この時詩文も傳へられて、我が租先に文藝の價値を教へ和歌の位置を高からしめたのであつた。和歌は、一方に詩文の刺戟があり、一方に歴史編纂事業の影響を受けた古藝術への憧憬があり、頓に興隆して遂に萬葉時代を出現するに至つた。かうして萬葉集の如き大歌集が編纂せられ、租先の文藝は永に傳へられたのであつたが、その花やかな和歌の世界は間もなく詩文に奪はれてしまつて、折角光明に輝きつゝあつた和歌の進路は阻止せらるゝに至つた。即ち國風暗黒時代の登場である。
 國風暗黒時代といつても和歌が全く亡びたといふわけではない。紀貫之が古今和歌集の序文中に
萬の世の中色につき人の心花になりにけるより、あだなる歌はかなき詞のみ出でくれば、色好みの家に埋れ木の人知れぬこととなりて、まめなる所には花薄ほに出だすべき事にもあらずなりにたり、その初を思へば、かゝるべくなんあらぬ、古の代々の帝春の花の朝秋の月の夜ごとに候ふ人々を召して、事につけつゝ歌を奉らしめ給ふ。
とある通り、和歌が戀の世界に隱れた時代を暗黒時代といふのである。けれども和歌が戀の世界に隱れるに至つた事情に就ては、貫之の觀察が誤つてゐるやうである。部ち色好みの家にかくれたから、あだなる歌はかなき詞のみ出でくるに至つたもの、而して色好みの家にかくれなければならなくなつたのは詩文の壓迫によるものと解釋しなければ、事實が容さないであらう。
 當時の女子教育は漢學には殆ど無縁といつてよい有樣であつた。男子教育に就ては九條殿遺誡の中に
 凡成長頗知物情之時、朝讀書傳、次學手跡、其後許諸遊戲、
とあつて、漢學學習が第一に數へられてゐるが,女子敏育になると
  村上の御時宣耀殿の女御ときこえけるは、小一條左大臣の御女におはしましければ、誰かは知りきこえざらん、まだ姫君におはしける時、父大臣の教へ聞えさせ給ひけるは、一には御手をならひ給へ、次には琴の御ことをいかで人に彈きまさんとおぼせ、さて古今の歌十卷を皆うかべさせ給はんを、御學問にはせさせ給へとなん聞えさせ給ひける(枕冊子)
とあつて漢學の事は全く見えてをらず、全部趣味教育であつた。尤もこれは上流社會の事であつて、中流社會になると染織等その他實生活に必要ないろ/\が授けられたことは、源氏物語の雨夜の品定を見ても明かな事實であるが、漢學にはいよ/\遠いものであつた事も察せられる。のみならず次のやうな迷信までも手傳つて、女子と漢學とは離れて行かざるを得なかつたものゝやうである。紫式部日記に
  書どもわざとおきかさねし人【宣孝】も侍らずなりにし後、手觸るゝ人もことになし、それらをつれ%\せめてあまりぬる時、一つ二つ引出でゝ見はべるを、女房あつまりて、お前はかくおはすれば御幸は少きなり、なでふ女がまんなぶみはよむ、昔は経よむだに人は制しきとしりこちいふを聞きはべるにも、物忌みける人の行末、命ながゝるめるよしども見えぬためしなりと云はまほしく侍れど、
と見えてゐる。
 光明皇后有智子内親王勤子内親王の如き漢學に通じた方々もあらせられた。紫式部清少納言のやうな才媛もあつた。が、何れも例外として考ふべき例であつて、一般として女子は漢學すべきものではなく、よしや多少の知識を持ちえたとしても、女子の口にも筆にもすべきもので無かつた事は、源氏物語などのそここゝにも窺はれる事である。
 かうしたわけで漢字漢文に縁のなかつた女子の世界には、詩文の流行は沒交渉であつた。而して當時の習慣として、戀愛の世界にはその純不純にかゝはらず、和歌は無くてはならぬ必要品であつた。詩文に壓迫せられて生存困難を感じた和歌が、戀愛の世界を唯一の避難所としてこゝに生活を營まうとしたのは自然の數であらう。かくて和歌は色好みの家に埋木の身とはなつたのである。

yosizawakokuhuu.pdf

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2005年02月24日

新居 格「飜譯論」

 飜訳は、元は翻訳といつた。翻も飜も等しく「ひるがへす」の意である。訳の一字で既に異国の言語文字を其国語にあてなほして意味の逋するやうにすることになつてゐる。隋書「経籍志」に、「翻訳最為通解」とあるのを以てすればかなり古い成語である。
 英語のTranslation独逸語のuebersetzen の語義を解明するにも及ぶまい。飜訳の意味如何が本稿では問題ではなく、わが国語文化の上から考へるのが主目的だからである。
 他国の言語文章を日本の言語文章に移植するに当つての問題である。そしてその場合、最も適切に原義を損ふことなしに、自国語を妥当的確に駆使する必要がある。他国語によつて表現された作品を原案としてその仕組を変へて作り直すところの飜案は元より問題外である。といふのはそれはその文字の示す通り飜案であつて、飜訳ではないからだ。ところで飜訳には意訳(フリー・トランスレーション)と直訳(リテラル・トランスレーション)との二つがある。理想からいへば原文に即きながらしかも所謂直訳臭のないことだが、そこで漱石の『草枕」の冒頭にある名文句を思ひ泛べざるを得なくなる。そして云ひたい、直訳に囚はれると堅くなる。意訳につくと押流されるの歎が飜訳にもあるのではあるまいかと。
 わたしは片山孤村とか小池秋草とかがたしか南山堂あたりで出したと記憶してゐる独文対訳の本を思ひ出す。どんな言葉をも疎略にはせず、しかも立派な日本文になつてゐた。(手許にその本なきため引例を欠くのは残念)現今の青年達はそれに反して原文に即き過ぎる。といふよりは原文に引きずられることが多いのではないか。それは語彙が豊富でないのと、もう一つは意味の中核を把握する力の不足から来るのではあるまいかと思ふ。それを思ふと、先人はその見識があつた。しかも和漢の学にも造詣をもつてゐたせゐでもあらう、驚くべき巧妙さを示してゐた。その点は現代青年の範とすべきであらう。
 一例を挙げると、中村敬宇訳の『西国立志編』の如きがそれである。原名は『自助論《セルフ・ヘルプ》」だが、それを『西国立志編』としたのは.実に訳者中村正直の卓見とするより外はない。

araiitaru_honyakuron.pdf

ファイル名はaraiですが、「にい・いたる」です。続きを読む
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2005年02月22日

平野彦次郎「徳川時代に於ける助字・虚字・実字の著書に就て」

 一 緒説

 徳川時代に於ける助字・虚字・実字の著書は、大抵同訓異義の文字を類排して其の辨別を主として居るので、同訓異義の研究といふ題にせんかとも思ひましたが、矣焉乎哉の如き普通に訓読し難いもの、即ち同訓異義といふ題下には包括し難いものもあるから、右の様な題にしました。

hiranohikojirojoji.pdf

平野彦次郎は1954年没で、著作権は消失している。続きを読む
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2005年02月20日

本居宣長『古事記伝』首巻・第1巻

『古事記伝』の総論の部分です。

古記典等総論
旧事紀といふ書の論
記題号の事
諸本又注釈の事
文体の事
仮字の事
訓法の事
直毘霊

kojikiden01.pdf
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