2005年04月04日

片上伸「明治時代の文学思潮」(1921)

『解放』 大正十年十月 明治文化の研究号
katakami_bungakusityo.pdf
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馬場孤蝶「明治小説界概観」(1921)

『解放』 大正十年十月 明治文化の研究号
kotyo_syosetu.pdf
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2005年04月02日

島津久基『国文学の新考察』(1941)

目次simazu00.pdf
「つれ%\」の意義―國文學と註釋―simazu01.pdf
兼好の健康simazu02.pdf
兼好と元可simazu03.pdf
枕草子と清少納言simazu04.pdf
枕草子短觀―山の端いと近くなりたるに―simazu05.pdf
平安朝文學の彈力simazu06.pdf
古代・中世の「作り物語」simazu07.pdf
昔物語と歌物語simazu08.pdf
竹取物語小論simazu09.pdf
散佚物語三つ(一 初雪物語 二 とほぎみ 三 しら丶物語(附、しじら))simazu10.pdf
桂中納言物語simazu11.pdf
義經記論simazu12.pdf
小督と小原御幸―平語餘録―simazu13.pdf
御伽草子・假名草子・舞の本simazu14.pdf
御伽草子論考simazu15.pdf
番外舞曲「相模川」simazu16.pdf
幸若の曽我我物simazu17.pdf
ふりこほり―狂言「朝比奈」から―simazu18.pdf
西鶴と古典文學―特に一代男と源氏物語との關係を中心として―

馬琴とロマン
馬琴論片(逍遙・鴎外と馬琴 芳流閣―馬琴の描法― 侠客傳)

説話學の對象としての傳説
天狗の内裏とイニード(アェネーイヌ)―牛若丸地獄極樂廻傳説とイニーアス(アェネーアース)傳説―
傳説と和歌
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2005年03月19日

和田英松「南朝三代の源氏物語の御研究」(岩波講座日本文学)

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 後醍醐、後村上、長慶の三帝が源氏物語を御研究遊ばされた事を述ぶるに當りて、それより以前に於ける列聖の源氏物語御研究を調べて見るに、平安朝に於いては、別に記したものが見えないやうである。鎌倉時代にては、後鳥羽天皇、順徳天皇の御著書中、源氏物語の事が散見してゐる。花鳥餘情、眠江入楚に掲げてある順徳院御記に、源氏物語の御批評がのせてある。殊に八雲御抄には、處々に源氏物語を引證してある。次は後嵯峨天皇で、近衛兼經の
 岡屋關白記に、建長二年六月一日、午時刻參六條殿、數刻祗候、自去四月廿一日、毎旬有源氏物語沙汰、及夕退去
と記してある。御讓位以後の御事で、「源氏物語沙汰」とあるのは、多分講義を聞食した事であらう。毎旬とあるから、四月廿一日、五月一日、十一日廿一日、六月一日の五囘御講義があつたやうである。六月一日には、蒹經が伺候してゐたのであるが、この後、幾囘續講せられたものであらうか。桐壺の卷より始められたものであらうか。何人が進講したのであつたか明かならぬ。河海抄には、この時、扇を以て月を招く事を、諸道に尋ねられた事が見えてゐる。この後四年を經て、
 吾妻鏡に、建長六年十二月十八日、於御所先源氏物語有御講義、河内守親行候之云々、
と見えてゐる。
 次は、伏見天皇東宮の御時、源氏物語の不審を二條づゝ出され、六日の間、藤原雅有範藤等を左右に分ちて、論義せしめられたのである。これを記したものを弘安源氏論義といふ。
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和田萬吉「南総里美八犬伝」(岩波講座日本文学)

wada_hakkenden.pdf

作者小傳
「八犬傳」製作の動機-並に苦心
「八犬傳」の結構並に文章
馬琴の著作態度並に慣用作意
結語

作者小傳
 「八犬傳」は具には「南總里見八犬傳」と稱し、多作を以て聞える曲亭馬琴の大著である。馬琴、本姓は瀧澤氏、初名は興邦、後に解と改めた。字は瑣吉、其戲號の曲亭は支那の山の名で「巴陵曲亭ノ陽に樂む」に取り、馬琴は小野篁の「才馬卿に非すして琴を彈くとも能はじ」の句から取つたといふ。通稱清右衛門、後に篁民と稱した。又著作堂主人、玄同陳人、 齋、信天翁、蓑笠漁隱、乾坤一草亭等の別號がある。彼は麾下松平信成の家宰興藏の末子として、明和四年江戸深川高松通の淨心寺附近に生れた。幼少の頃から讀書殊に稗史小説を繙くことを喜び、十二三歳の頃には既に和漢古今の稗史小論數百卷を讀破したと謂はれてゐる。彼は武家の出である關係上、始め青侍に出身して數次主を變へたけれど、皆少時にして之を辭した。後幕府の醫師山本宗瑛に醫を學んで成らず、龜田鵬齋に就き儒者とならんとして志を途げす、石川雅望に狂歌を學んで一家を成さず、又橘千蔭に書道を學んで其目的を達せず、終に寛政のはじめ山東京傳に識られて戲作者となつた。これが彼の生涯に於ける一大轉機であつて、爾後の彼の操觚者としての生活が始められたのである。其處女作は寛政二年の冬、京傳門人大榮山入の名を以て著はした「盡用而二分狂言」といふ黄表紙で、彼の二十四歳の時である。其後京傳の家に寄寓して代作二三種を著はしたが、同三年書肄蔦屋重三郎の招により其家に移り、著作に從事する傍和漢の群書を耽讀し、同五年始めて草雙紙數種を綴り、曲亭馬琴の戯號を署した。此等の草雙紙が世に行はれて漸く文壇に其名を知られ、其才華を發揚すべき眞の道途を發見したのである。
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幸田露伴「圏外の歌」(岩波講座日本文学)

rohan_kengai.pdf

 歌といへばそれは歌といふに適ひたるものであるべきである。歌といふに適はぬものは歌とは云ひ難い。然し嚴密に云へば、自他ともに歌と謂ひ歌と稱へてゐるものにも、歌とはいひ難いものが少くは無いし、又歌ともおもはず、人も歌とは云つてゐないものにも、歌として認めて宜いものも少くは無い。で、其本質から論ずるときは、實に歌が如何なるものであるかといふことが定まつてからでなくては、これが歌であるか歌で無いかといふことは云へぬのであるし、そして又歌が如何なるものであるかといふことは各人主觀の上のことであるから一般的には定め難いものである、それ故に世人は意識的に、若くは無意識的に、何時からともなく本質から認めることを忘れて、外形から之を認めて、これは歌だ、これは歌で無いといふことになつてゐる。これは歴史であり事實である。
 形上から我邦で歌といふものといへば、長短によらす、五七言の末に七言を加へたものを歌としたのが古いことである。稀には或は一句多く、或は一句足らぬものも有つたにせよ、大體は前に述べた如きもので、少くともそれに準據して考察され得べきものであつた。しかるに其體は猶今日に至りて存するが、一方に又平安朝前期あたりから芽ぐみて、五七五・七七の體が起り、それから七五を基調とする體も起り、或は八六、或は五五、或は其他を用ゐる錯落たるものも發生開展して來た。但し五七を基とすると七五を基とするとに論無く、それは歌の一體を爲すところの一部分の聲調の差として、世人は餘りに注意すること無く、歌といへば單に五七五七七の外形を有するもの、若くは共の延長の所謂長歌なるものを目して之を歌と云ひ來つてゐて疑はない。これは是れ事實である。
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折口信夫「風土記に現れた古代生活」(岩波講座日本文学)

orikuti_hudoki.pdf
一 地誌の起るまで
二 風土記をめぐる疑念
三 生活の古典と新文學としての常陸風土記
四 神學以後の出雲風土記
五 修辭法の古風
六 前代を貽した播磨風土記
七 墓と山と司と
八 咒農法
九 風土記と民間傳承及び歴史
十 擬古的な二風土記
十一 唯一言

 奈良朝時代の文獻の中で、最異風なのは風土記《フドキ》である。その風土記が、どうして成立せねばならなかつたかを、言はうと思ふ。
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折口信夫「日本文学の発生―その基礎論―」(岩波講座日本文学)

orikuti_hassei.pdf

目次
異人の齎した文學
宮廷及び邑落の生活
中語者の職分
ものゝふの咒術
侏儒の藝能
巫女から女房へ
上達部の意義
宮廷祝詞の概念
諺及び歌
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2005年03月18日

岡田希雄「和泉式部」(岩波講座日本文学)

okada_izumi.pdf

 驕慢な御堂關白の榮花により代表せられる一條・三條・後一條三代の頃は、平安朝文化の最も華やかな時代であるが、國文學に於いても亦黄金時代であつて、物語・隨筆・和歌に其れ%\すばらしい作品を産んだ。物語は紫式部の源氏物語であり、隨筆は清少納言の枕草子であるは云ふまでも無いが、歌に於いては當代の先達四條大納言公任の如ぎもあつたが、其れは問題では無くて、和泉式部こそは當代第一の歌人である。紫・清少・和泉、この三人が揃うて後宮奉仕の閨秀作家であつたのは特筆すべきであらう。其の名譽ある歌人和泉式部の人及び作品に就き、限られたる頁數の中に於いて、極めて簡單に略述せうとするのである。

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斎藤茂吉「正岡子規」(岩波講座日本文学)


目次
其一。正岡子規略傳
其二。俳句革新。新體詩。和歌革新。寫生文創成。病牀隨筆文學。子規の性質の一面(野心の説・疾病慰樂の説其他)。
其三。寫生の主張。寫生と理想と。寫生の用語例。松葉の露連作十首。春水鯉魚十句。連作といふこと。
其四。子規の文學論の根柢。芭蕉子規句風比較。製作態度二種。苦心の据所。
其五。子規の疾病觀。子規の死生觀及び子規の死。子規の娑婆的文學。
其六。子規の芭蕉蕪村評。晩年の句評。俳論の過程。應擧呉春評。藝妓舞踊觀。
其七。晩年の俳句。同題俳句和歌。俳句の形式と和歌の形式。辭世の三句。
其八。和歌革新運動。和歌に對する考の變遷。短歌の實例。長歌の實例。結語。

mokiti_siki.pdf
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斎藤茂吉「源実朝」(岩波講座日本文学)

mokiti_sanetomo.pdf

源實朝。金槐集諸寫本解説。金槐集刊本書目及解説。金槐集註釋書目及解説。文獻補遺。

 源實朝は建久三年八月九日に生れ、十二歳の時に鎌倉將軍となり、承久元年正月二十七日二十八歳にして公曉のために殺された。幼くしてすでに京都文明にあこがれ、妻も京都の公卿の娘をむかへた。和歌・蹴鞠を好み、特に和歌は餘程好きであつたと見え、歌會も屡ひらき、勉強して和歌文書をも讀んでゐる。家隷に和歌を嗜むものが居り、それが當時中央歌壇の巨匠藤原定家の門弟であつたりした關係からして、實朝も定家に合點を乞ふに至つた。東鑑に、將軍家令好和語給之上云々とあるのは、その傾向を傳へた言葉である。
 併し、さういふ風の傾向は、一般からは軟弱將軍を以て看られたことは想像するに難くはない。當時にあつても、『以歌鞠爲業。武藝似廢。以女性爲宗。勇士如無之』と東鑑にあるのは、單に一部の者のみの評言ではなかつただらう。また、『ヲロカニ、用心ナクテ、文ノ方アリケル實朝ハ、又大臣ノ大將ケガシテケリ。亦跡モナクウセヌルナリケリ。』と愚管抄の著者に論斷せられてゐるが、これが當時の一般民衆の抱いてゐた結論であつたかも知れない。そこでこの考は後世に至るまで歴史家によつて傳へられてゐたが、賀茂眞淵の如き理解者も出で、追々に實朝一生の事情も探求せられて見ると、實朝は決して一様凡庸の人物ではないといふやうになつた。私もまたその意見である。
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斎藤茂吉「近世歌人評伝」(岩波講座日本文学)

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總説
賀茂眞淵及其門流
香川景樹及共門流

第一章 總説
 近世和歌史の包含する内容は、徳川の初期から幕末迄に至るのであるから、その間になかなか多くの歌人が出で、歌風にも幾つかの變遷起伏があつて、本邦和歌史のうちでも興味ある時代であるが、盡くそれを述ぶることは不可能である。よつて、茲に先づ概論し、次いで一二の歌人を代表せしめてそれを論評せんとおもふのである。
 第一。 和歌が沈滞してしまひ、制詞禁詞とか、古今傳授とか云つてただ籠居した儘の歌壇が戰國時代から織田・豐臣の代を經て徳川期に入つた。その歌風を代表するものは、二條家の歌風であり、その間、細川|幽齋《いうさい》とか松永|貞徳《ていとく》とか北村|季吟《きゞん》とか木下長嘯子とかが出で、歌學の方も作歌の方も相當の力量を示し、季吟の如きは古歌古文の講義で世人を導いた點があり、幾らか氣運が動きかけたやうであるが、いまだ潜流であつて作歌の方も見るに足るものは殆どないと謂つていい。
 第二。 元祿の世になり、他の分野の文化運動の發展と共に和歌の方も動き出した。俳諧の方も芭蕉を中心として一大革新があつたのであるが和歌の方は少し遲れた。元祿を中心とし、その前後七八十年間の和歌の運動は、一つは舊來の束縛沈滯を破るといふこと、一つは手本を正しいところに求め、抒情詩本來の面日に復麟しようといふことであり、從つて古歌集の研究となつたから、ひとつの復古運動とも看做し得べく、萬葉集古今集の研究が勃然として興つた。併し、當時の歌を讀んで見れば、やはり古今集・新古今集を目當とした歌が多く、歌は萬葉集までは溯り得なかつた。
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三木清「現代階級闘争の文学」(岩波講座日本文学)昭和8

(発売禁止になったものらしい。)

mikikiyosi_gendaikaikyu.pdf

    目次
一 階級鬪爭の文學の一般的規定
二 プロレタリア文學の可能と必然
三 日本プロレタリア文學運動の發端
四 運動の統一と分裂
五 運動の新たなる展開
六 文學理論と創作活動
七 藝術的價値と政治的價値
八 プロレタリア・リアリズムの問題
九 若干の反省

階級鬪爭の文學の一般的規定
 「あらゆる從來の社會の歴史は階級鬪爭の歴史である。」これは一八四八年のかの『×××宣言』の第一章の最初の有名な一句である。「自由人と奴隸、貴族と不民、領主と農奴、親方と職人、簡單に云へば、抑壓する者と抑壓された者とは互につねに對立をなし、間斷なき、或る時は陰密の、或る時は公然たる鬪爭を行つた、この鬪爭たるやいつでも、全社會の一の革命的な變革に終結し、さもなくば鬪爭する階級のともどもの沒落に終結した。歴史の以前の諸時代にあつては我々は殆どすべての場合において社會が種々なる諸身分に完全に編制されてゐるのを、社會的諸地位が多樣なる階層をなしてゐるのを見出す。古代ローマにおいては貴族、騎士、平民、奴隸がある、中世においては封建領主、藩士、親方、職人、農奴があり、そしてなほその上にこれらの諸階級の殆どすべてにおいて更にまた特殊な諸階層がある。封建社會の沒落から生れ出た近代のブルジヨワ社會は階級諸對立をなくしはしなかつた。それはただ古いそれらの代りに新しい階級、抑壓の新しい諸條件、鬪爭の新しい諸形態をおいたに過ぎない。ブルジヨワジーの時代なる我々の時代は然しながら、それが階級諸對立を單純化したといふ點に特徴がある。全社會は次第々々に二つの大なる敵對的の陣營に、二つの大なる互に直接に對立する階級に、帥ちブルジヨワジーとプロレタリアートとに分裂する。」ここに極めて明瞭に要約して表明された思想は云ふまでもなくマルクス主義のひとつの重要たる理論内家をたすところのものである。レーニンの如きも『マルクス主義の三つの源泉と三つの構成部分』について敍して、マルクス主義はドイツの哲學、イギリスの經濟學、フランスの社會主義といふ三つのものの正當なる相續者であり、そしてそれは哲學的唯物論、剩餘價値論及び階級鬪爭の理論の三つを根本的な内容として有すると述べてゐる。階級鬪爭の理論はマルクスの天才によつて洞見され、徹底せしめられたところの「世界歴史の教へる結論」にほかならない。
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木枝増一「島崎藤村」(岩波講座日本文学)

kieda_toson.pdf

はしがき
「岸本は、あの病人の個性といふものをよく見究めずに、唯病氣のみを診斷しようとする醫者のやうな人逹から、一口に自分の行爲を審かれることを非常に殘念に思つた。」
                          「新生」藤村全集第十一卷六七六頁−


 一人の作家は研究の對象として之を種々の方面から考察することが出來るであらう。研究家に對しては「必要なる迂路」といふ言葉さへも用意されてゐる。併し、出口を失った迷路を必要以上にひきずり廻されることが、作家及び作品の本來にして望むところと一致するであらうか。私は出來るだけ率直に端的に、作品を通して作家を描いて見たい。それが新しい文學研究方法と如何なる角度を持つかは、他の人と他の時との關心に委ねたい。若しこの一小論が「新生」の主人公岸本のいふ個性と病氣との相關關係を多少でも明かにすることが出來るならば、こゝでの今日に於ての私の足れる所としなければならない。
 短篇・長篇・紀行・感想・詩・童話等の多くの作品の中から、自傳的色彩の著しいもののみを中心として選び出し、これを考察の對象にしたのも、作家と作品との個性的關係を闡明したい意圖に基いたものに外ならない。


(木枝増一は国語学の業績が多い。)
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垣内松三「日本文学研究法」(岩波講座日本文学)

目次
 問題設定
 文學史研究法
 文學系統研究法
 文學理論研究法
 形象と理會

序説 問題設定
 體系的理念 
 學問の研究の方法を構成するためには、一面には對象と認識との考察に依りて、明確にして周到なる探求の方法を規定し、これを研究資料の取扱ひ方に及ぼす方向と、他の一面には研究資料の取扱ひ方の上から、自らに綜合せられる法則を統一して、方法の體系に收約せしむる方向との二つの考へ方がある。この二者の相互的關係は、約三分の一世紀の聞に分裂から統一へと接近して來て、今やその相互的制約の相關の上に、更に體系的理念がはたらきかけて居ることを認めて、この立場から方法論的考察が行はれて居ると見ることができる。こゝに研究法の名の下に考察せんとする主題も主としてこの點にあるのである。
 研究法の考察に於ける二つの方向は、これを「哲學的」及「文獻學的」といふ語を以つても現はされて居る。「哲學的」といふのは、言語及文學の研究に生理・心理・社會學其他の學科が參與するに從つて、それ等は補助學科として言語及文學の研究の外に立つものでなく、次第にその本質の研究の中に織りこまれて、「哲學的」なる研究の進展は抛物線的に文獻學的研究の方向に接近して來た。又、文獻學的といふのは前代以來我が國の國語・國文學者の執り來つた方向であるが、註釋・考證・編纂等の作業が大成せられるに從つて、クロオチエが「言語の問題を深く研究した哲學的賦性を有する言語學者たちはトンネルを穿つ勞働者の立場にあることが分るだらう。即ちある地點に達したら、彼等はその仲間、即ち別の側で働いて居る哲學者の聲を聞くにちがひない」といつたやうに次第に哲學の方へ近づいて來た。かくして「哲學的」と「文獻學的」なるものは、もう一息で兩方からトンネルを穿ち通すところまでその作業が進んで來たのであるが、現代の状勢に於ては、その工事は略完成して居ると見ることができる。その研究の資料が言語・文學であるから、その外面は以前の文獻學的研究のやうに見えるが、一音一語の研究にも、新興科學の研究が緻密に織込まれて新しい學問の道が開かれて居る。

kaito_kenkyuho.pdf
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五十嵐 力「軍記物語研究」(岩波講座日本文学)  

igarasi_gunki.pdf

 私は此の小講を書くに當たつて、思ひ設けぬ二つの困難に直面してゐることを見出だした。その一つは、軍記の中の特殊の名作、例へば『平家物語』、『太平記』の類が、別に一講として獨立した取扱を受けて居るので、之れに對する重複を避けねばならぬといふことである。もう一つは、私自身最近、名までが同じ『軍記物語研究』といふ小著を公にしてゐるので、其の中に書いた事を成るべく繰返したくないといふことである。私はこの二つの事情によつて可なりに惱まされたが、結局此の講義をば、右のいつれにも重複しないで、しかも我が軍記文學の中心要義を取り逃がさぬやうなものにしたいと考へるやうになつた。率直にいふと、私は既刊の小著に於いて、軍記に關して自分の有つ重要な知識を、殆んど悉く發表したつもりであるが、但し其の中に述べなかつた事で、近頃非常な重要さを見出だすやうになつた二三の考がある。或は、以前私の心の隅に小さく潜んでゐた危ぶなッかしい考で、近ごろどうやら確信程度に生長したものがあるともいふべきであらう。それは軍記第一の名作『平家物語』が創造し同時に大成したる國文學史上の偉業についてであるが、此の新たな二三の思附を中心資料として、我が軍記の大軆を描きたいといふのが、私の希望である。
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藤村作「日本精神と國文學」(岩波講座日本文学)

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          はしがき
 日本精神と國文學と云ふ標題が與へられたが、これは日本文學研究の根本問題とも云ふべき大問題で、この兩者の關係を説き起す前には先づ日本精神とは何かと云ふ點を考察し規定した上で、それが如何に日本文學の本質を規制して行つたかを具體的に觀察しなければならぬのであるが、自分には今全くその餘裕が與へられてゐないので、こゝでは單に思ひつくまゝに、日本精神の重要な面を形作つてゐると考へられる一二の要素を抽出して見て、その精神が歴史的に我が文學の上にどのやうた形をとつて現れたかを一渡り眺めて見る程度にとゞめたいと思ふのである。
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藤井乙男「御伽草子」(岩波講座日本文学)

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 足利期から徳川の初期へかけて續出した通俗訓蒙的で單簡素朴な小説を御伽草子といつたのは何時頃からの事であらう。
 トギといふ語は平安朝の文獻には發見されないやうである。源平盛衰記・増鏡等に至つて話相手の意味に用ひられた、さうして之に伽の字をあてるやうになつたのは、字書類では貞應板の法華經音義が最も早いものかと思はれる。これより前すでに類聚名義抄にも伽の字は見えるが、それにはヨル・ユタカニとのみあつてトギの訓はない。元來伽の字は伽羅・伽藍などの如く梵語の音譯にのみ用ひられた意味のない字である。それを日本で人加の字態によつてトギと訓じたのであるから、類聚名義抄のヨルも寄ルの意で、人のそばに寄り添ひ伽する心を現はしたのかも知れない。これから推してゆくとトギの語はツキの變化でなからうか、大名の近侍の御伽衆などは御付衆といつても差支ないやうだ。
 トギの語が次第に汎く行はるゝにつけて、その意義も擴張して話相手のみならす、すべて人を慰め樂ましむる對象物をさすやうになつて、江戸期の小論類の題名に之を冠するものが多い。年表類によつて見ると次の如き流行がある。
  御伽物語   萬治二年
  伽婢子    寛文六年
  續伽婢子   (不明)
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北原白秋「新興童謠と児童自由詩」(岩波講座日本文学)

    目次
小序
一、新興童謠に就いて
 童謡復興迄
 童謠の意義と其の開展
 童謠の諸相について
二、兒童自由詩運動
 運動の經過
 童謠と兒童自由詩
 自由律と定型
 自由律の必然性
 成人と児童の觀照
 児童の生活感情と詩
 幼児の詩


 此の文の意圖するところは大正期より昭和の今日に到る童謠界全般に亙る新興童謠と兒童白由詩の歴史ではない。些か此の藝術と教育との新運動の本流にあると思ふわたくし自身の主張なり經過なりを、主として總括し統一して置くべく意圖したものに外ならぬ。史的に觀察し考證し批判するには別に人があらう。此の種の事は此の新運動の渦中にある私としては、他の諸家に對しなかなかに書き辛いのである。自身のみの事ならば肅々として云へる十分の責任をも持てる、旗幟の闡明にもなり得る。安んじて書けるのである。
hakusyu_sinkodoyo.pdf
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