2005年04月03日

佐野学「社会組織の変動と資本主義社会の成立」(1921)

『解放』 大正十年十月 明治文化の研究号sano_syakaisosiki.pdf
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島地大等「明治宗教史」(1921)

『解放』 大正十年十月 明治文化の研究号simaji_meijisyukyo.pdf
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滝本誠一「明治初代の経済政策」(1921)

『解放』 大正十年十月 明治文化の研究号takimoto_meijikeizai.pdf
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新井格「明治時代に於ける社会思想」(1921)

『解放』 大正十年十月 明治文化の研究号arai_meijisyakai.pdf
ファイル名araiですが、「にい・いたる」です。
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藤井健治郎「明治思想概観」(1921)

『解放』 大正十年十月 明治文化の研究号
藤井健治郎(-1931)
hujii_meijisiso.pdf
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麻生久「明治時代の政治概観」(1921)

『解放』 大正十年十月 明治文化の研究号
aso_meijiseiji.pdf
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2005年03月26日

桑木アヤ雄『黎明期の日本科学』

序(桑木厳翼)・目次 kuwakiayao00.pdf
科学史の研究kuwakiayao02.pdf
磁石及び琥珀に関する東洋科学雑史kuwakiayao01.pdf
指南車及羅針盤史雑考kuwakiayao03.pdf
エレキテル物語―平賀源内と橋本曇斎―kuwakiayao04.pdf
本木仁太夫良永の事績kuwakiayao05.pdf
帆足万里
泰西科学の摂取と其の展開
新日本史物理学篇
学術史の断面
九州に於ける理学の先駆
ガリレイに就いて 付 海潮古説
Physical Sciences in Japan



「アヤ」はWindows用の「IBM文字」にある〈「或」に似た字〉だが、ここでは文字化けする。
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2005年03月23日

三宅雪嶺「明治文化の基礎」(1921)

解放 大正十年十月 明治文化の研究号
miyakeseturei_toyo.pdf
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2005年03月18日

村岡典嗣「日本文化史概説」(岩波講座日本文学)

 日本文化の史的概説は、客觀的に所謂日本文化の意義に於いても、また主觀的に、その史的取扱ひ方に於いても、之を種々の見地から、爲すことが出來よう。まづ前者に於いて、日本文化は、日本に於ける文化の意味にも考へ得べく、また、日本的文化の意味にも考へ得る。第一のものは、文化の一般性、もしくは普遍性に重きをおいて考へるので、いはゞ世界文化史的に見て價値あるものゝ、日本といふ國土に於ける發現の歴史に外ならない。この見地からせば、日木文化史は、明治以前に於いては、大部分は東洋文化史即ち主として支那文化史の延長であり、明治以後に於いては、大部分は西洋各國文化史の延長である。世界文化史上、日本が嚴密な意味で、未だ創造的國民であり得なかつた事實は、かゝる見地からの日本文化の意義の學的規定を、少くとも可能ならしめる。而してかくの如き日本文化觀は、東西に亙つての世界文化の、この島帝國の一舞臺に於ける一切の發現を、對象とするところからして、自らに極めて廣汎な、而してまた、多趣多樣な問題を提供する。之に反して、第二のものは、日本文化の特殊性に重きをおいて考へようとするもので、これによれば、日本文化史とは、他國民の丈化に野して晒何等かの特色を有する日本國民文化の歴史である。國民文化てふ觀念がこゝに基本となるのは、明らかである。而してこゝにしば/\主張せられるのは、文化史上の國民主義である。帥ち文化は、國民性に於いて、はじめて眞の發現をなす、國民文化こそは眞の文化であるといふ見解である。

muraoka_bunkasi.pdf
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2005年03月13日

野上豐一郎「日本文學と外來思潮との交渉(四)西洋文學」(岩波講座日本文学)

 何をわれわれの文學は西洋の文學思潮に負ふか。思想としてはいかなる觀照態度が、形式としてはいかなる表現樣式が、西洋文學のわれわれへの寄與であるか。
 此の問題の考究には、まつ、時代の決定が必要である。
 單に西洋文學の紹介された歴史について云ふならば、われわれは文祿の初年まで遡ることができる。文祿二年(一五九三年)には「イソホのファブラス」が口語體に飜譯されて天草で出版された・同三年(一五九四年しにはアルヴァレスのラテン文法が天草で出版された。その中に、キケロ、ヴェルジリウス、ホラテ・ウス、リヴィウス、セネカ等のラテン詩人からの章句が引用されてゐた。少し下つて慶長十五年(一六一〇年)には、バレトーの が長崎で飜刻された。「舊約聖書」「新約聖書」の章句や古典詩人の詞章をラテン語で集めたもので、古典詩人には前記文法書の引用の外に、ホメーロス、ヘロードトス、クセノブハーネス、ヱウリピーデス、プラトーン、アリストテレース等があつた。それに依つてわれわれは、豐臣時代から徳川時代の初期へかけて、少くとも宗門の間では、當時すでに西洋古典の鑑賞が行はれてゐたことを推定することができる。けれども、それが果してわれわれの文學の主潮にどれだけかの影響を與へたであらうかは疑問である。
 その後キリシタンは禁止となり、各種の宗門書と共に西洋の文學も一般に傳播する機會を失つた。
 併し西洋文化の流入はそれきり杜絶されたわけではなかつた。長崎(ポルトガル人)、平戸(オランダ人、イギリス人)、浦賀(エスパニヤ人)の亙市場の内、初めに浦賀が閉鎖され、次いでイギリス人が追はれ、オランダとポルトガルと競爭の結果、後者が負けて長崎を見棄て、其處ヘオラング人が平戸から移されて、商館の設立を公認された。それが寛永十八年(一六四一年)であつた。それ以來長崎出島のみが西洋と交渉するわが國唯一の門戸となつた。其處にはオラングのカピタンが毎年の交替で滯在し、數名の日本通詞が附屬した。官憲の嚴重なる監視の下に、一般日本人と紅毛人との接觸は禁止された。長い間、通詞の家だけが西洋語の貯藏所であつた。併し、通詞等といへども、西洋語を話すことは許されながら、西洋文學を讀むことは許されなかつた。此の不合理な状態が一世紀ほどつづき、延享元年(一七四四年)に至つて初めて青木昆陽の理解ある取りなしに依つて幕府は通詞のうち三家(西、吉雄、本木)だけにオランダ文書讀譯の特許を與へた。併しその他の者は依然として西洋文學から遮蔽されてゐた。
 けれども壓迫はいつまでも有效にはつづかなかつた。幕府は西洋文化の侵入を恐れたけれども、人心は却つて西洋文化を迎へようとした。未知を既知にしようとする熱情が次第に機運を作つた。元祿から享保へかけて、その機運は十分に成熟した。新井白石は熱心なる西洋研究者であつた。彼は「采覽異言」正徳三年(一七一三年)と「西洋紀聞」同五年(一七一五年)を編纂した。江戸切支丹屋敷に幽閉されてゐたローマの布教師シロテ(ジォヴァン・バッティスク・シドッティ)からの聞書に據つたものであつた。將軍吉宗は或る意味に於いて西洋研究の機運の最大の助成者であつた。彼は科學の研究に興味を持ち、自身天文暦法には相當の造詣もあり、暦法家算學家を集め、また藥物本草の栽培を奬勵し、地理學測量術にも力を注ぎ、これ等もろもろの科學的研究の方法としてオランダ語學習の必要を痛感し、青木昆陽、野呂元丈をして、毎年江戸參覲のカピタンに就いて學習せしめ、次いで青木昆陽を長崎に留學せしめた。延享元年(一七四四年)のことであつた、謂はゆる蘭學の道がこれから開けた。
 青木昆陽の後に前野良澤が出た。杉田玄白が彼と共に學んだ。その|頃《(二)》の蘭學者としては麻田剛立、後藤梨春、桂川甫筑、同甫周、平賀源内等があつた。前野良澤と杉田玄白の遺鉢を傳へた者には大槻玄澤(磐水)があつた。玄澤の後には息磐溪の外に、稻村三伯(海上隨鴎)、橋本宗吉、山村才助等が出た。宇田川玄隨(槐園)の嗣玄眞(榛齋)も玄澤の後進であつた。その子榕庵は、坪井信道、箕作阮甫、佐藤信淵等と同學であつた。信道の門には緒方洪庵が出で、洪庵の門には福澤諭吉が出た。勝海舟の安政二年(一八五五年)の手記に據ると、當時江戸在住の蘭學者五十八名といふことであつた。いづれも一家を成した者で,その數は決して少いとは云へなかつた。けれども蘭學の流行もその邊で行き詰まつて、漸く形勢一變の徴候が見えてゐた。
 それは蘭學の代りに、英學、佛學、獨學が興りかけてゐたことを意味する。從來蘭學の所管は幕府の天文方であつたが、安政二年に獨立の組織となり、越えて同四年(一八五七年)には蕃書調所と稱して一種の學校組織となり、文久二年(一八六二年)には洋書調所と改稱され、翌三年(一八六三年)には更に開成所《四》と改稱された。これは單なる名稱の改變ではなく、同時に内容の改變でもあつた。印ち、語學として蘭語の外に英語が加へられ、英語の方が却つて盛んになり、學科としては醫學、藥學、地理學の外に、數學、物理化學が加へられ、更に造船術、航海術、築城術、兵術等が研究されるやうになつた。それから明治維新までは數年であつた。慶應二年(一八六六年)には幕府は遂に海外留學を公認し、開成所最初の留學生として、箕作奎吾、菊池大麓、中村敬輔、林董三郎、外山捨八等、十四名の少年がイギリスへ送られた。享保以來約一世紀半、初めは僅かにオランダ語に依つて科學の一端を學習するにとどまつてゐたものが、次第に防ぎきれない力となつて、遂にはイギリス語に依り、フランス語に依り、ドイツ語に依つて、科學のあらゆる部門が攷究せられるやうになつた。此の情勢は、幕府の崩壞に件ふ社會組織の變動に煽られて、急激に政治的色彩を帶びるやうになり、廢墟の上に新城の建てられる前の混亂の中で、自由民權が叫ばれ、國會開設が唱へられ、憲法制定が論ぜられた。すべて皆西洋文化を目標としないものはなかつた。驚くべき歐化主義が明治初年の日本に充滿した。

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藤村作「國語教育論」(岩波講座日本文学)

 國語教育といふ言葉の内客は、普通二つの意味に解釋される。一つは狹義の解釋で、主として語學的な知識又は技能に關する教育といふ意味であり、も一つは廣義の解釋で、國語に對立するものとしての國文學をも合はせて、その兩者に關する教育といふ意に解釋するのである。即ち一は日本語の特質・法則・用法等について正確な知能を與へることを素にするものであり、二は更にその上に日本文學について解釋・批評・鑑賞を試みることを要旨とするのである。しかし教育に關する法規に於て、單に國語と稱してゐる場合は、たいてい狹義の意味でなく、廣義の意味に解釋するのが普通のやうであるから、今は便宜上、國語・國文學を統一した廣い意味に解しておくことにする。從つて、以下國語教育といふは、國語・國文學教育といふ意味であることを、お斷りしておく。
 國語教育に關する問題は廣汎であつて、ここではたうてい全般に亙つて論することは出來ない。特に方法論に關する問題は多岐に亙るので、今は全然ふれないことにし、特に目的觀に關する方面だけを少しく詳細に考へて見たいと思ふ。
 最近數ケ年に於ける國語教育の思潮ならびに方法上の變化には著しいものがある。それは國民教育の全面に亙る進歩發展に伴ひ、國語教育の理論及び實際に關する諸問題が、特に熱心に論議研究された結果であつて、教育界はもとより、國家のために慶賀すべきことである。
 しかしながら、ここに注意すべきことは、かくの如き國語教育思潮の變遷の中に、果して國民教育の根本精神に對する眞摯なる反省があつたか、國語・國文學の形態及び特質に對して、十分なる學問的認識があつたか、外來の教育思潮ならびに文學理論に對して、聰明にして公不なる批制があつたか、流行摸倣雷同の中にあつて、果して敬虔にして眞面目なる内省があつたかといふ事についてである。
 現代の國語教育の理論及び實際は、前時代のそれに比して、たしかに全體としては進歩發展を示してゐる。しかし、それと同時に、日本精神に對する反省の缺如、國語・國文學そのものに對する學問的認識の不足、外來思潮に對する根柢なき摸倣、流行に對する批判なき雷同等が國民教育としての國語教育の大道を誤りっつあることも、また疑ふべからざる事實と云はねばならぬ。我々が國語教育の現状に對して、一は喜び、一は憂ふる所以は、即ちここにあるのである。

hujimura_kokugokyoiku.pdf
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