2005年03月19日

和田英松「南朝三代の源氏物語の御研究」(岩波講座日本文学)

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 後醍醐、後村上、長慶の三帝が源氏物語を御研究遊ばされた事を述ぶるに當りて、それより以前に於ける列聖の源氏物語御研究を調べて見るに、平安朝に於いては、別に記したものが見えないやうである。鎌倉時代にては、後鳥羽天皇、順徳天皇の御著書中、源氏物語の事が散見してゐる。花鳥餘情、眠江入楚に掲げてある順徳院御記に、源氏物語の御批評がのせてある。殊に八雲御抄には、處々に源氏物語を引證してある。次は後嵯峨天皇で、近衛兼經の
 岡屋關白記に、建長二年六月一日、午時刻參六條殿、數刻祗候、自去四月廿一日、毎旬有源氏物語沙汰、及夕退去
と記してある。御讓位以後の御事で、「源氏物語沙汰」とあるのは、多分講義を聞食した事であらう。毎旬とあるから、四月廿一日、五月一日、十一日廿一日、六月一日の五囘御講義があつたやうである。六月一日には、蒹經が伺候してゐたのであるが、この後、幾囘續講せられたものであらうか。桐壺の卷より始められたものであらうか。何人が進講したのであつたか明かならぬ。河海抄には、この時、扇を以て月を招く事を、諸道に尋ねられた事が見えてゐる。この後四年を經て、
 吾妻鏡に、建長六年十二月十八日、於御所先源氏物語有御講義、河内守親行候之云々、
と見えてゐる。
 次は、伏見天皇東宮の御時、源氏物語の不審を二條づゝ出され、六日の間、藤原雅有範藤等を左右に分ちて、論義せしめられたのである。これを記したものを弘安源氏論義といふ。
posted by うわづら文庫主人 at 18:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 国文学論文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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