「舊觀帖」の作者鬼武の傳記は殆どわかつて居りません。前野蔓助と申して旗本衆の小笠原某の家來であつて,後に浪人をした。そこで蔓亭と云ひ、感和亭といふ號もある。前方は飯田町に住つて居りましたから、飯夥山人といふ別號もあつた。これは飯田町の臺といふ心持ですから,飯田町の高いところに住んで居つたと見えます。それから後に淺草の聖天町へ移つて,文政元
年二月二十一日に五十九歳で死んで居ります。
先づこれだけの事はわかつて居りますが、その外には畫を谷文晁に習つたので、黄表紙の中には自畫のものがある、といふことがわかつてゐろ位のものです。この人の作としては、黄表紙、合卷、讀本,咄本、中本といふ風に、隨分いろ/\な作物があり,總計では五十種を越えてゐる按配であります。その鬼武の著作の中で,毛色の變つてゐるのが「舊觀帖」でありますが、その
外に思ひもよらぬ鬼武の著作が一つある。それは文化元年に出した小本の一冊物で、「國字詩階梯」といふものであります。
kyuukantyo.pdf
続きを読む
2005年03月15日
2005年02月25日
2005年02月22日
廣津柳浪「淺瀬の波」(広津柳浪「浅瀬の波」)
梅花は既に散り、桜花は今一雨を待ちかね、夜風は尚ほ肌に浸みながら気は浮立つ。翌月の一日を廓の花開き――追々洲崎の世界にならうと云ふ三月の末である。
西の空は一面に曇り、南から寄せて来る雲は月を歩ませながら、果は風雲の様になつて消えてしまふ。黒み渡つた海面には、金竜時に影を躍らせ、岸打つ波の音は戯るゝかの様で、而も淋しさを加へて居る。遥かに見ゆる芝浦の料理店には酒客の灯火、低く、高きは愛宕の塔か。一点、又一点白金台より伊皿子台に連り、千点臻る処は品川の青楼か。其が又七砲台辺から沖に連る漁火、乱れては狐火の遊ぶかとも疑はれる。点々尽くる辺三四高く掛って星かとも見ゆるは、夜泊夢は穏かなる帝国の軍艦であつて、その四半時毎に夜を警むる鐘の音は、人をして不覚に無限の感を惹かしむる。幾千不幸の女に、此鐘の音を聞いて思郷の涙を堕さぬものは、恐らく一人も無いであらう。
hirotu_asase.pdf
西の空は一面に曇り、南から寄せて来る雲は月を歩ませながら、果は風雲の様になつて消えてしまふ。黒み渡つた海面には、金竜時に影を躍らせ、岸打つ波の音は戯るゝかの様で、而も淋しさを加へて居る。遥かに見ゆる芝浦の料理店には酒客の灯火、低く、高きは愛宕の塔か。一点、又一点白金台より伊皿子台に連り、千点臻る処は品川の青楼か。其が又七砲台辺から沖に連る漁火、乱れては狐火の遊ぶかとも疑はれる。点々尽くる辺三四高く掛って星かとも見ゆるは、夜泊夢は穏かなる帝国の軍艦であつて、その四半時毎に夜を警むる鐘の音は、人をして不覚に無限の感を惹かしむる。幾千不幸の女に、此鐘の音を聞いて思郷の涙を堕さぬものは、恐らく一人も無いであらう。
hirotu_asase.pdf
廣津柳浪「今戸心中」(広津柳浪)
大空は一片の雲も宿めないが黒味渡ツて、廿四日の月は未だ上らず、靈あるが如き星のきらめきは、仰げば身も冽る程である。不夜城を誇顔の電氣燈にも、霜枯三月の淋しさは免れず、大門から水道尻まで、茶屋の二階に甲走ッた聲のさゞめきも聞えぬ。
明後日が初酉の十一月八日、今年は稍温暖く小袖を三枚重襲る程にもないが、夜が深けては流石に初冬の寒氣が身に浸みる。
hirotu_imado.pdf
抄(台東区と文学へのリンク)
明後日が初酉の十一月八日、今年は稍温暖く小袖を三枚重襲る程にもないが、夜が深けては流石に初冬の寒氣が身に浸みる。
hirotu_imado.pdf
抄(台東区と文学へのリンク)

